by osicoman on 10/27/2011
予備知識ゼロの状態で読んだ。まさか、こんな話だとはまったく想像してなかった。
安部公房がどの年代の人かも知らなかったから、舞台設定でまず驚いた。まあ、これはじぶんの無知が原因だけど。
昨日までのじぶんがじぶんでなくなっていくように、日常が少しずつ非日常に侵食されていく。それも、ただ、会話だけで。油断しているとこっちがやられてしまうような、頭のくらくらする、手に汗握らざるを得ないやりとり。なんとなく胸の奥のほうにイヤ〜な気持ちを覚えつつ、最後まで一気に読み切った。
スリリングでおもしろいSF(というか、そもそもSFだっていうことにびっくり)。感想を書いておいてなんですけど、なにも知らない状態で読むととてもよいかと。

by osicoman on 10/17/2011
ここ2ヶ月くらい、いろいろなことがあった気がする。それは例えば、なんでもないようなことが幸せだったと思ってしまうくらいの。
以下、思い付いた順に。
ICOを買った
けど、全然プレイしていない。ヨルダと手をつないで走ると、彼女の走り方が見ていてあぶなっかしいので、男子たるものここは歩いてエスコートせねばならんのではないか、と思う。でもすぐに、「べつにゲームだしいっか」と言い訳をして、結局、走ってしまう。なんか、すいません。

GRAPEVINEしか歌わないカラオケ
カラオケに興じているとき、人はいちばん歌詞を読む。
死ぬまでにやりたいゲーム1001
ようやくゲームにもこういう本が、と感慨深い。他の娯楽と並んだような気がする。並ばなくたっていい気もするが。
もともとが洋書なので、タイトルのチョイスは、日本人の感覚とはけっこう違うかも知れない。それと、そもそもこういう本が日本から出なかったのが、ちょっと悔しい。
眺めながら「あっ、これおもしろいよね」とか「なんでアレが入ってないんだよ」とかやいのやいの言う会、やりましょう。

言葉のデザイン2010
高橋源一郎の、手書きとキーボード入力のちがいの話がおもしろかった。
筆記具で書く内容が変わること。キーボードでは手の感覚が消え、アタマで考えていることがダイレクトに出力されること。それによって書くことが苦痛でなくなることと、「書きすぎてしまう」こと。キーボードを使っているとトランス状態になっていくこと。手書きのときは、日本語の面倒くささや美しさや面白さを実感しながら書いていたこと。そういうことに煩わされなくなった今は、他のことに気を回せるからいいという側面もあるけど、大事なものを置き忘れている気もすること。などなど。
http://www.kotobanodesign.com/
安全な妄想
長嶋有のエッセイ集。ほとんどの人がさらっと流してしまうような事柄に執着する視点の鋭さとか、ユーモアでぜんぶ解決していく感じとか、へんなところで自信にあふれているところとか、遊び心とか、ほんとうに、いい。どんどん妄想をふくらませていく「唇」やたしかな観察眼についつい引き込まれてしまう「愛しのジャパネット」「続・ジャパネット考」などなど、おすすめはたくさんあるのだけれど、いちばんぐっときたのは、ジャーン、「ずっと永田町だった」でした!それじゃ、また来週!

人との距離のはかりかた
まさか、いいと思ってしまうなんて。複雑な気持ちになったけど、もう一生、そういう感じなのかも知れない。結婚したら変わるかな。いや、知らないけど。
うっ
翌朝思い出して赤面しながら枕に顔を埋めて足をバタバタさせてしまうようなこと、もっと言っていきたい。なるべくとりこぼしのないように、定着させたい。忘れてばかり。
それではみなさん
よい夜を。
by osicoman on 09/29/2011
読み終えてようやく分かったのだけれど、この本は、「構造主義」や「野生の思考」、それから「贈与論」であるとか、そういうもの(まとめてどう呼べばいいのかも分からない)についての知識をあらかじめ持っていないと、ちゃんと理解できない。少なくとも、じぶんはそうだった。なんてこったい。最後のページをめくっても、なんだか腑に落ちないままだったので、とりあえず、検索してみた。そうしたら、こんな文章を見付けた。
未開性の特徴と考えられてきた呪術的・神話的思考、具体の論理は、実は「野蛮人の思考」ではなく、われわれ「文明人」の日常の知的操作や芸術活動にも重要な役割を果たしており、むしろ「野生の思考」と呼ぶべきものである。それに対して「科学的思考」は、かぎられた目的に即して効率を上げるために作り出された「栽培思考」なのだ。この分析を通じてレヴィ=ストロースは野生の思考を復権させるとともに、神話の論理の探究への道を開いた。それは人間精神の普遍性の把握にもとづく異文化理解の基礎理論の建設であると同時に、「野蛮人とは野蛮を信ずる者のことだ」とまで言い切るほどに厳しい、西欧文化のエスノセントリズムの自己批判でもある。(「未開人」へのまなざしと『野生の思考』)
なるほど、そういうことだったのか、と感心してしまった。もっと先に調べておくべきだった。
なにぶん不勉強なもので、断言しづらいのだけれど、この本は、構造主義の考え方を用いてポケットモンスターを解説したものだ。だから、ただポケモンが好きという理由だけで読むと、難しい。ここから哲学を志す、ということもあるのかも知れないけど、ほとんどない気がする。
とは言え、全体としては、楽しんで読み進めることができた。意識の「へり」、エロスとタナトス、「対象a」といったキーワードは、今後ゲームについて考える上でのヒントや指標になるように思えたし、第4章から始まるポケモンの分析はとてもスリリングだった。もっとも、まさにこの本で書かれている「子ども」時代にリアルタイムにポケモンを楽しんだ者としては、素直にうなずけないようなものも多かったけれど。あとから学者が名前をつけたりすることに、なぜか抵抗がある。そんな必要、ないのに。
最後に。読んでいて最も印象に残ったのは、以下の部分。
この世界をつくっている力の流動や配分が不調で、そのためにこの世界は、もはやかつてあったような幸福な状態を実現できていないのではないか、ということを主人公が気がついたそのときに、物語ははじまる。別の言い方をしてみると、人の心に物語への欲望が生まれたときにはすでにして世界は不調に陥っている、というか、物語が欲しいと思うときはすでに遅く、原初の完全で幸福な状態は、二度とそのままのかたちでは実感できないように消失してしまっている。何かを受け入れたことによって、別の何かを決定的に失ってしまい、それ以後は二度とその失ったものを取り返すことができずにいる。こういう心の構造が、物語を生み出しているというのが、ここからもわかる。物語の本質は、子どもの心の形成と深い関わりを持っているのだ。あらゆる人間の子どもは、心の内部に不調をかかえている。何かを失うことによって、この生き物は人間の子どもとなった。そしてこの生き物は、物語を求めるようになる。(p.63)
この箇所で、不意打ちをくらったような気分になった。「物語」というのは、ちょうどいま気になっていたテーマだったから。以前読んだ「思想地図β vol.2」のテーマとも、通じるように思える。
じぶんではそんなつもりがなかったのに、たまたま連続して読んだ本に関連性があって、それはただの偶然だけれど、ひさしくそういうことがなかったので、なんだかとても得をしたような気持ちになった。ラッキー!
こんなに頭を使って本を読んだり、それがただ本を読んだという以上のことをもたらしてくれるなんて、読書って、いいですね。もうちょっと続けてみよう。

by osicoman on 09/23/2011

ブルボン小林でない著作を読んだのは初めて。現在と、過去と、もうちょっと遠い過去のこと切り替わるさまが、読んでいて気持ちいい。ナイステンポ!
優れた作品には、大切な人のことを思い出させる力があるな、なんつって!もちろん、そうでなくても優れているものはあるけれど。もっと早く読んでいればよかった。
by osicoman on 09/22/2011

おもしろそうなソフトがたくさん発表されて、とてもうれしい。
個人的には、カルチョビットの発表にいちばん心が躍った。何年か前に、開発者である薗部さんがインタビューで “「カルチョビット」は今年中には出せると思いますよ。” と言っていたのに、その後ずっと音沙汰がなかったので。
それから、スーパーマリオ 3Dランドがとても気になる。マリオが3Dになることで失われてしまったものをもう一度取り戻す、というコンセプトがかっこよすぎるし、宮本茂がその課題をどのように解決するのか、体験せずに墓場に行けるだろうか(いや、行けない)!
この冬は、マリオカート7とスーパーマリオ 3Dランドと俺の屍を越えてゆけを買うつもり。
by osicoman on 09/21/2011

地震から半年が経って、その間に忘れてた/考えないようにしていたことをズバッと指摘されたような。東浩紀の巻頭言「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」は、どうか、たくさんの人に読まれてほしい。
ただ、よくよく考えてみれば、震災が起きる前からぼくたちはばらばらだった。もちろん、これからもずっとそうだ。それなのに、目に付くのは安っぽい連帯やうわべだけの気遣いばかり。そんなことに、何の意味があるのだろう。耳ざわりのいい言葉に、いつまで酔っているのだろう。そういう人たちは、いつ気付くのだろうか。
なんてことを考えているときにたまたま読んだ、ゴーストの条件 クラウドを巡礼する想像力という本の試し読みPDFが、とても腑に落ちた。今度買おう。
by osicoman on 09/20/2011

6月19日から始まった、苔を育てる生活。まさか鉢を落として終わるなんて、微塵も考えってなかった。ずっと続くと思っていた、のに。ものごとはいつだって唐突に終わり得るのだ。
移転した。 http://koke.osico.me
by osicoman on 09/8/2011

ザ・インタビューズというウェブサービスがある。登録すると、だれかに「匿名で」インタビューすることと、だれかからのインタビューに答えることができる。
興味があったので、試してみようとじぶんでもアカウントをつくったが、なじめなくて、結局、だれにも質問はせず、回答もひとつしかしなかった。
なぜなじめなかったのだろう。
まず最初に感じたのは、自意識にやられそう、ということ。(そういうサービスだから)みんなまじめに質問に答えていて、その雰囲気が、ちょっとキツいな、と思った(ネタっぽい回答もあるけど、律義にネタを繰り出している、という点では同じ)。だれに向けて答えているのかわからない質問に対応している様子も、なんだか空虚に感じられた。
それから、普段からこういうサービスをしそうな人しか登録していない、のも気になった。いや、これも当たり前の話なのだけれど。いろんなところで見る人が、他のいろんなところと同じように、大きな声で話している。新しいウェブサービスができるたびに繰り返される光景に、うんざりしていたのかも知れない。そういう人たちの持つ勇気や大胆さやある種の無神経さに対して、単純にうらやましいと思ったりもするけど。
ぼくがザ・インタビューズに期待していたのは、例えば、ブログはやってなくて、twitter や Facebook にもあまり投稿しないような人に質問をして、少しずつその人の人となりがわかる、というようなことだった。けれど、少なくともぼくの周りではそういうことは起きていない。そういう人はそもそもアカウントをつくらない。そして、じぶんの中で、インタビューに答えれば答えるほどその人への興味が失われ、相対的に、ザ・インタビューズに登録していない人への興味が募る、という、よくわからないことになってきた。
友達の回答は読むし、その中におもしろいものはたくさんある。あるんだけど、全体として捉えると、そんな風に感じた。
個人的には、インタビュアーにスポットが当たると、パワーバランスが変わってもっとおもしろくなると思う。匿名で質問をするかどうか、選べたらいいのに。そうしたら、自意識も薄まる気がする。自意識はほんとうに怖い。
by osicoman on 09/2/2011

ブルボン小林「ゲームホニャララ」を読み返している。とてもおもしろい。
これは、週刊ファミ通に連載されていたゲームにまつわるコラムをまとめたもの。とは言え、その内容は紹介でもなければ、レビューでもない。ゲームとそれを取り巻く環境について、ひかえめなテンションでつづっている。ゲームに関する言説にありがちな前のめり感や鼻息の荒さはなく、ふだんゲームを遊ばない人でもきっと楽しく読める。
ゲームについてこんな風に語れる人をぼくは他に知らないし、そんなスタンスに強く憧れる。ある分野について、門外漢にも伝えるというのは、簡単にできることじゃない。
なんだか、昔同じようなことをどこかに書いた覚えがあるのだけれど、懲りずにまた、それについて書いた。でもしょうがない。20歳を過ぎたらもう、好きなものはあまり変わらないし、大切なことは何度繰り返しても色あせないのだ。
ちなみに、ブルボン小林というのは作家・長嶋有の変名で、先日、やっと「長嶋有」の小説を買った。これまではずっと「ブルボン小林」の著作しか読んだことがなかった。まだ手を付けていないけど、とても楽しみ。
ところで、楽しみなら早く読めばいいじゃない、とじぶんで思ったのだけれど、よくよく考えてみれば、そんなつまらない受け取り方もない。読む前から、買う前から読書は始まっている。遠足前日のわくわくはもう遠足だし、雑誌で新情報をチェックしている時点ですでにスタートボタンを押しているし、みんなが帰ったあとのひとりでの部屋の片付けが終わるまでが宅飲みだ。豊かっていうのは、こういうことだ。そして、それを楽しめるのが大人だ。
脱線した。ゲームがあってよかった。
それから、もういい歳だし、いい加減にそろそろ、じぶんなりの回答を提出したい。