中沢新一「ポケットの中の野生 ポケモンと子ども」

by osicoman on 09/29/2011

読み終えてようやく分かったのだけれど、この本は、「構造主義」や「野生の思考」、それから「贈与論」であるとか、そういうもの(まとめてどう呼べばいいのかも分からない)についての知識をあらかじめ持っていないと、ちゃんと理解できない。少なくとも、じぶんはそうだった。なんてこったい。最後のページをめくっても、なんだか腑に落ちないままだったので、とりあえず、検索してみた。そうしたら、こんな文章を見付けた。

未開性の特徴と考えられてきた呪術的・神話的思考、具体の論理は、実は「野蛮人の思考」ではなく、われわれ「文明人」の日常の知的操作や芸術活動にも重要な役割を果たしており、むしろ「野生の思考」と呼ぶべきものである。それに対して「科学的思考」は、かぎられた目的に即して効率を上げるために作り出された「栽培思考」なのだ。この分析を通じてレヴィ=ストロースは野生の思考を復権させるとともに、神話の論理の探究への道を開いた。それは人間精神の普遍性の把握にもとづく異文化理解の基礎理論の建設であると同時に、「野蛮人とは野蛮を信ずる者のことだ」とまで言い切るほどに厳しい、西欧文化のエスノセントリズムの自己批判でもある。(「未開人」へのまなざしと『野生の思考』

なるほど、そういうことだったのか、と感心してしまった。もっと先に調べておくべきだった。

なにぶん不勉強なもので、断言しづらいのだけれど、この本は、構造主義の考え方を用いてポケットモンスターを解説したものだ。だから、ただポケモンが好きという理由だけで読むと、難しい。ここから哲学を志す、ということもあるのかも知れないけど、ほとんどない気がする。

とは言え、全体としては、楽しんで読み進めることができた。意識の「へり」、エロスとタナトス、「対象a」といったキーワードは、今後ゲームについて考える上でのヒントや指標になるように思えたし、第4章から始まるポケモンの分析はとてもスリリングだった。もっとも、まさにこの本で書かれている「子ども」時代にリアルタイムにポケモンを楽しんだ者としては、素直にうなずけないようなものも多かったけれど。あとから学者が名前をつけたりすることに、なぜか抵抗がある。そんな必要、ないのに。

最後に。読んでいて最も印象に残ったのは、以下の部分。

この世界をつくっている力の流動や配分が不調で、そのためにこの世界は、もはやかつてあったような幸福な状態を実現できていないのではないか、ということを主人公が気がついたそのときに、物語ははじまる。別の言い方をしてみると、人の心に物語への欲望が生まれたときにはすでにして世界は不調に陥っている、というか、物語が欲しいと思うときはすでに遅く、原初の完全で幸福な状態は、二度とそのままのかたちでは実感できないように消失してしまっている。何かを受け入れたことによって、別の何かを決定的に失ってしまい、それ以後は二度とその失ったものを取り返すことができずにいる。こういう心の構造が、物語を生み出しているというのが、ここからもわかる。物語の本質は、子どもの心の形成と深い関わりを持っているのだ。あらゆる人間の子どもは、心の内部に不調をかかえている。何かを失うことによって、この生き物は人間の子どもとなった。そしてこの生き物は、物語を求めるようになる。(p.63)

この箇所で、不意打ちをくらったような気分になった。「物語」というのは、ちょうどいま気になっていたテーマだったから。以前読んだ「思想地図β vol.2」のテーマとも、通じるように思える。

じぶんではそんなつもりがなかったのに、たまたま連続して読んだ本に関連性があって、それはただの偶然だけれど、ひさしくそういうことがなかったので、なんだかとても得をしたような気持ちになった。ラッキー!

こんなに頭を使って本を読んだり、それがただ本を読んだという以上のことをもたらしてくれるなんて、読書って、いいですね。もうちょっと続けてみよう。

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