2011年によく聴いたアーティストと曲

by osicoman on 01/4/2012

鳩田さんにならって、ぼくも振り返ってみます。思い入れのあるものを挙げるのもいいけど、こうやって客観的にデータを見てみるのもなかなか感慨深いというか、なんというか。

アーティスト

1. GRAPEVINE(5274)
2. BUMP OF CHICKEN(1577)
3. まつきあゆむ(1008)
4. syrup16g(629)
5. LOST IN TIME(403)
6. Galileo Galilei(377)
7. Plenty(285)
8. RADWIMPS(282)
9. STAn(223)
10. ストレイテナー(202)
11. ねごと(184)
12. Mr.children(178)
13. andymori(164)
14. tacica(163)
15. THE YELLOW MONKEY(146)
16. 髭(HiGE)(119)
17. PAQ(109)
18. L-R(107)
19. スピッツ(98)
20. PaperBagLunchbox(96)

マジだ、っていう感じのランキング。順当に好きなアーティストが上位にきてるけど、5274回っていう数字はすごいな…。平均すると、毎日ぼくはGRAPEVINEの音楽を14〜15曲再生していた計算になります。
ランクインしている顔ぶれは全然目新しくなくて、ちょっと残念な気もします。17番目の PAQ は意外でした。http://store.neguse-group.com/?pid=31235890で買えます。買いましょう。他に新しい人たちは、Galileo Galilei とねごとくらいだなぁ。

1. GRAPEVINE / This town(156)
2. GRAPEVINE / 風の歌(145)
3. GRAPEVINE / Silverado(136)
4. GRAPEVINE / Neo Burlesque(125)
4. GRAPEVINE / 真昼の子供たち(125)
6. GRAPEVINE / おそれ(124)
7. STAn / 大人になれば(119)
8. GRAPEVINE / Dry November(117)
9. GRAPEVINE / ピカロ(112)
10. ねごと / カロン(105)
10. GRAPEVINE / ミランダ(Miranda warning)(105)
12. GRAPEVINE / 411(102)
13. GRAPEVINE / Sancutuary(100)
14. GRAPEVINE / 超える(97)
15. GRAPEVINE / 夏の逆襲(morning light)(80)
16. まつきあゆむ / 銀河(78)
17. まつきあゆむ / ワイワイワールド 〜僕らの高エネルギー融解加速器〜(74)
18. GRAPEVINE / インダストリアル(68)
19. BUMP OF CHICKEN / 三ツ星カルテット(67)
20. GRAPEVINE / 白日(64)
20. GRAPEVINE / 冥王星(64)

続いて、曲です。5000回も再生してりゃそうなるわな、っていう感じのランキングになりました。まあ、GRAPEVINE 好きが証明されたと思うのでよかったです(よかったです!)。いやはや。
GRAPEVINE 以外だと、 7番目の STAn「大人になれば」がアツいです。この曲で今までの STAn とはガラッと変わったので、その次の作品がどうなるのか期待してたんですけど、活動休止してしまうとは…。2012年中に kyg さんの新しい曲が聴けたらいいな、と思っております。
あと、16番目の、まつきあゆむ「銀河」もいいですね。いいですね、っていうのもアレですけど。2011年の暮れに急にとても好きになって、ずっとリピートしてました。誰かがべつの曲を評するときに言っていた気もするけれど、六畳ワンルームと宇宙をつなぐ世紀の名曲だと思うわけです。センチメンタルの塊みたいなぼくでも、君がそばにいてくれれば、こんなに怖い未来もなんとかやり過ごせるかも。なんつって!知らんがな!ガハハハ!この曲を含むダブルアルバム「あなたの人生の物語」はhttp://matsukiayumu.com/yourlife/でお求めになれますぞ。どや。

というわけで、ざっくりと振り返ってみました。もっと詳しく見たい、という奇特な方はぼくのlast.fmのページをどうぞ。

来年はどうなってるんでしょうか、楽しみですね!それでは、また1年後にお会いしましょう!

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SQ “かかわり”の知能指数

by osicoman on 01/1/2012

お金さえあれば幸せになれる、とは限らない。じゅうぶんに暮らしていけるだけのものがあれば、たしかにそうかも知れない。じゃあ、そうなったとき、人はどこで幸せを感じるのか。ここでは、まず前書きで「身近な他者に対して手助けをすること」と言い切っている。

全国1万人へのアンケートの結果分かったこととして、人々は、日々の生活において「できる範囲での手助け」をしている人ほど、「現在のじぶんは幸福である」と考えている、らしい。本書では、この、”幸福度を高めるような他者へのかかわりの力” を「SQ」という指数で表している。この「SQ」を軸に、少子高齢化や地方の過疎化などの問題をどう解決するか提案し、また、2020年頃に社会がどのようになっているのか予測している。

読みやすい文体なのですらすらページをめくれるけれど、それでいて論拠となるデータや事例もたくさん引いてあって、しっかり説得力がある。どちらかというと、ふだんはあまりこういう類の本は読まず、もっと情緒的なものばかりを読んでいるので、新鮮だった。

ところで、本書では「SQ」的な考えの人たちが増える前、戦後の、消費を巡る価値観の変化について、けっこうなページ数を割いて紹介している。個人的には、この部分がいちばんおもしろかった。いろんなところで見る、世代間のズレの理由が分かったように思う。

また、その紹介の中で、高度経済成長を経た「黄金時代」から続いてきた「たくさん消費ができるヤツがエラい」という価値観に明確に NO と言っているのが、とてもよかった。痛快というか、いたしかたないというか、捉え方はひとつではないだろうけど。
このあたりの、大げさに言ってしまえば「資本主義からの脱却」みたいなものは、今後避けては通れないだろうし(しかも意外と早くそういうことになるかも知れないし)、じぶんの中でも前から気になっているトピックだったし、そんな話をする/見ることも、少しずつ増えてきた。

未来を考えるきっかけになる、その為の基礎をしっかりとつくってくれる、よい本だった。きっと今年、何度か読み返すことになると思う。読み返してこ!

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年をとった

by osicoman on 12/20/2011

2011年12月17日に、28歳になった。

とは言うものの、実感はない。そもそも、日付が変わった瞬間にそれだけで何かが変わるということはないだろう。28年間生きてきて、そのくらいは分かる。けれど、心持ちひとつで変われる、ということも28年の間に覚えた(それと、それだけじゃどうにもならないこともある、ということも)。ということで、恥ずかしがらずに続ける。なにかを新しくするには、すごくよい機会だから。

今年は、ほんとうにいろんなことがあった。もちろん、いろんなことは毎年あるんだけど、今年は、個人的にも、もっと広い世界においても、いろんなことがあった。今こうやって、ひとつ歳を重ねることができたのも、この文章を公開できているのも、あなたがいま、ここまで読んでくれていることも、誤差みたいなものなんだと思う。

引越をした。ルームシェアを始めた。地震が起きた。転職を決意した。京都旅行をした。会社を辞めた。新しい会社に入った。したことのないような仕事をした。苔を育て始めた。会ったことのない人と会った。会ったことのある人と仲よくなった。会ったことのない人とも仲良くなった。知らない人と知り合った。たくさん笑った。ひとりでフラッと飲みに行けた。恋人と別れた。ラーメンを食べた。たまにカレーも食べた。ベローチェでコーヒーを飲んだ。アルプスで泥酔した。心ない一言に傷ついた。かっこいい音楽で高まった。悲しい知らせに肩を落とした。忘れたくないことが、たくさんあった。

言葉にしようとしてもどうしてもこぼれてしまう感情を、ときにひとりで、ときにだれかと、受け止めてきた。この1年を振り返って思うのは、ほんとうによい友人に恵まれたなぁ、ということ。この点に関してだけは、胸を張れる。いろんな人の顔が(あるいは twitter のアイコンが)頭に浮かんで、ちょっと泣いてる。ホロにげぇ…!

こんな大人になりたい、とか、こんな暮らしをしたい、とか、そういう理想のようなものを、ちゃんと考えたことがあまりない。「けれど」なのか「だから」なのか、は分からないけど、1年前は焦っていたし、こんな現状でいいのか、疑問だったように思う。どこに向かって進めばいいのか、分かってなかった。あの頃と比べたら、今は毎日楽しく過ごせている。焦りや疑問は相変わらず尽きないけれど、目指すべき道もなんとなく分かってきた。もしかしたら、単純に歳を取って選択肢が失われていっただけなのかも知れないけれど、だとしても、それほど悪い気はしない。

それではみなさま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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佐藤雅彦「考えの整頓」

by osicoman on 12/6/2011

著者の名前を知らなくても、「ピタゴラスイッチ」「0655」「2355」の企画・監修をしたり、プレイステーション用ソフト「I.Q.」を作ったり、「ポリンキー」「バザールでござーる」のCMを手がけた人、と言えば、ほとんどの人は分かるのでは。この本は、そんな著者の、暮しの手帖での連載を一冊にまとめたもの。ちなみにぼくは「尊敬する人はだれか」と聞かれたら、佐藤雅彦と松本人志と宮本茂と答えます。いつも。

ぼくらがふだんの暮らしのなかで素通りしてなんとなく受け入れてしまっている、世界の仕組みや人間の感覚のするどさ。そういうものを見逃さず、ひとつひとつていねいに「なぜそうなのか」を、平易な言葉で解き明かしていく。最初から最後まで、感心しっぱなし。ここで挙げられているものの背後には、まだちゃんと言葉に定着できていないような事柄がこの何倍もあるんだろうな、なんて想像すると、わくわくするような、ちょっと怖いような気持ちになる。

全体的に、おだやかなトーンなんだけど、うしろのほうに載っている文章が、とてもガツンときた。

私たちが生きていく過程で必要なのは、すでに分かりやすい形に加工されている情報を摂取し、頭を太らすことでなく、情報という形になっていない情報を、どのくらい自分の力で噛み砕き、吸収していくかということなのである。

この本に載っていることは、つまりこれのいろんな例なんだな、と。じぶんはどうだ、と考えて、このままじゃいけないな、と思った。ほんとうに。

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ムービーについて

by osicoman on 11/22/2011

うっ、ぼんやりしていたら2週間弱もあいてしまった。

前回の日記のあとは、風邪をひいたり、部屋を変えたり、友だちの結婚式に出たりしてた。結婚式は、いろいろと考えてしまいますなぁ。

さて。ゲームの話をしよう。

PSPのスイッチを入れ、ゲームを起動する。いきなり本編を始めるほどがっついてもいない(そんな男はモテないぞ!)ので、まずは物語のきっかけを描いたムービーを、神妙な面持ちで眺める。源太とお輪という名の夫婦が、酒呑童子のところへ向かうシーン。ふたりの会話から、それぞれの性格やふだんの関係性がパッと分かって、感心してしまう。他の表現方法と違って、すぐに分かるのがゲームでは大事なのかな、とちょっと思う。

このムービーは、ゲーム本編とは独立していて、いつでも見られるし、見なくてもいいのが、とてもいい。オープニングムービーがあるようなゲームのほとんどは、新しく始めるときに必ず再生されるようになっている。再生中になにかボタンを押すことで大抵はスキップできるけど、その手間すらめんどうなこともある。それに、見たいのに、間違ってスキップしてしまうこともある。
ムービー再生が独立していれば、そういっためんどうなことは避けられる。見るのも見ないのも、遊び手の自由だ。『俺の屍を越えてゆけ』をプレイする人の中には、ストーリーなんて気にしない、という人もけっこういそうだから、そういう面からもナイスだ。
また、やろうと思えばいつまでも遊べるゲームだからこそ、途中でダレてくることもあるだろう。そういうときに、ムービーを観直して、もういちど気合いを入れることもできる。

…よく考えられてるなぁ。

もちろん、実際はどういう意図でわけたのかは分からないし、ただの考えすぎという可能性も、おおいにあるけれど。

なんて感心しながら本編を始めたのだけれど、まさか初陣で一族の人間をひとり死なせてしまうとは微塵も思ってなかった。いやー参ったね!あははは!

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俺が屍を越えてゆく

by osicoman on 11/12/2011

『俺の屍を越えてゆけ』というタイトルの、1999年にプレイステーション用ソフトとして発売されたRPGがある。

ゲームの舞台は、平安時代の京都。鬼たちの襲撃によって、壊滅状態に追い込まれている。名だたる武士たちが「朱点童子」という鬼の大将を討ちに向かうが、誰一人として目的を果たすことなく、命を落としていった。
そんな中、一組の夫婦が、朱点童子のいる「朱点閣」へと辿り着く。が、朱点童子の罠によって、夫は命を落とし、妻は捕らわれの身となってしまう。そして、生まれたばかりのふたりの子どもには、ふたつの呪いがかけられる。

常人の何倍もの早さで成長するかわりに生後1年半〜2年程度で寿命が尽きる「短命の呪い」。人と交わり子孫を残すことができない「種絶の呪い」。

プレイヤーは、一族の当主として、朱点童子の討伐を目指す。人と交わることができないから、かわりに神様との間に子どもをつくる。呪いは朱点童子を倒すまで続くから、その子どもも、神様と交わる。子どもは親の能力を受け継いでいくから、戦闘を重ね、能力を高めていく。たとえ今すぐに朱点童子を倒すことはできなくとも、子どもの、そして、一族の未来のために。

そんな「俺の屍を越えてゆけ」が、2011年11月10日、PSP用ソフトとしてリメイクされた。プレイステーション版を遊んだ記憶はあるのだけれど、どんなゲームだったか、どんなストーリーだったか、ほとんど覚えていない。ただ、おもしろかったことだけを覚えている。

リメイク版を買ったのは、単純におもしろいゲームで遊びたい、というのがいちばんの目的だし、それがすべてだ。けど、分別もついて歳を取った今なら、もっといろんなことを感じるかも知れない。できれば、そういうことを忘れずにいたい。

ということで、少しずつ、メモのようなテンションで、記録していこうかと思っております。

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安部公房「人間そっくり」

by osicoman on 10/27/2011

予備知識ゼロの状態で読んだ。まさか、こんな話だとはまったく想像してなかった。

安部公房がどの年代の人かも知らなかったから、舞台設定でまず驚いた。まあ、これはじぶんの無知が原因だけど。

昨日までのじぶんがじぶんでなくなっていくように、日常が少しずつ非日常に侵食されていく。それも、ただ、会話だけで。油断しているとこっちがやられてしまうような、頭のくらくらする、手に汗握らざるを得ないやりとり。なんとなく胸の奥のほうにイヤ〜な気持ちを覚えつつ、最後まで一気に読み切った。

スリリングでおもしろいSF(というか、そもそもSFだっていうことにびっくり)。感想を書いておいてなんですけど、なにも知らない状態で読むととてもよいかと。

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なんでもない夜に

by osicoman on 10/17/2011

ここ2ヶ月くらい、いろいろなことがあった気がする。それは例えば、なんでもないようなことが幸せだったと思ってしまうくらいの。

以下、思い付いた順に。

ICOを買った

けど、全然プレイしていない。ヨルダと手をつないで走ると、彼女の走り方が見ていてあぶなっかしいので、男子たるものここは歩いてエスコートせねばならんのではないか、と思う。でもすぐに、「べつにゲームだしいっか」と言い訳をして、結局、走ってしまう。なんか、すいません。

GRAPEVINEしか歌わないカラオケ

カラオケに興じているとき、人はいちばん歌詞を読む。

死ぬまでにやりたいゲーム1001

ようやくゲームにもこういう本が、と感慨深い。他の娯楽と並んだような気がする。並ばなくたっていい気もするが。
もともとが洋書なので、タイトルのチョイスは、日本人の感覚とはけっこう違うかも知れない。それと、そもそもこういう本が日本から出なかったのが、ちょっと悔しい。
眺めながら「あっ、これおもしろいよね」とか「なんでアレが入ってないんだよ」とかやいのやいの言う会、やりましょう。

言葉のデザイン2010

高橋源一郎の、手書きとキーボード入力のちがいの話がおもしろかった。
筆記具で書く内容が変わること。キーボードでは手の感覚が消え、アタマで考えていることがダイレクトに出力されること。それによって書くことが苦痛でなくなることと、「書きすぎてしまう」こと。キーボードを使っているとトランス状態になっていくこと。手書きのときは、日本語の面倒くささや美しさや面白さを実感しながら書いていたこと。そういうことに煩わされなくなった今は、他のことに気を回せるからいいという側面もあるけど、大事なものを置き忘れている気もすること。などなど。

http://www.kotobanodesign.com/

安全な妄想

長嶋有のエッセイ集。ほとんどの人がさらっと流してしまうような事柄に執着する視点の鋭さとか、ユーモアでぜんぶ解決していく感じとか、へんなところで自信にあふれているところとか、遊び心とか、ほんとうに、いい。どんどん妄想をふくらませていく「唇」やたしかな観察眼についつい引き込まれてしまう「愛しのジャパネット」「続・ジャパネット考」などなど、おすすめはたくさんあるのだけれど、いちばんぐっときたのは、ジャーン、「ずっと永田町だった」でした!それじゃ、また来週!

人との距離のはかりかた

まさか、いいと思ってしまうなんて。複雑な気持ちになったけど、もう一生、そういう感じなのかも知れない。結婚したら変わるかな。いや、知らないけど。

うっ

翌朝思い出して赤面しながら枕に顔を埋めて足をバタバタさせてしまうようなこと、もっと言っていきたい。なるべくとりこぼしのないように、定着させたい。忘れてばかり。

それではみなさん

よい夜を。

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中沢新一「ポケットの中の野生 ポケモンと子ども」

by osicoman on 09/29/2011

読み終えてようやく分かったのだけれど、この本は、「構造主義」や「野生の思考」、それから「贈与論」であるとか、そういうもの(まとめてどう呼べばいいのかも分からない)についての知識をあらかじめ持っていないと、ちゃんと理解できない。少なくとも、じぶんはそうだった。なんてこったい。最後のページをめくっても、なんだか腑に落ちないままだったので、とりあえず、検索してみた。そうしたら、こんな文章を見付けた。

未開性の特徴と考えられてきた呪術的・神話的思考、具体の論理は、実は「野蛮人の思考」ではなく、われわれ「文明人」の日常の知的操作や芸術活動にも重要な役割を果たしており、むしろ「野生の思考」と呼ぶべきものである。それに対して「科学的思考」は、かぎられた目的に即して効率を上げるために作り出された「栽培思考」なのだ。この分析を通じてレヴィ=ストロースは野生の思考を復権させるとともに、神話の論理の探究への道を開いた。それは人間精神の普遍性の把握にもとづく異文化理解の基礎理論の建設であると同時に、「野蛮人とは野蛮を信ずる者のことだ」とまで言い切るほどに厳しい、西欧文化のエスノセントリズムの自己批判でもある。(「未開人」へのまなざしと『野生の思考』

なるほど、そういうことだったのか、と感心してしまった。もっと先に調べておくべきだった。

なにぶん不勉強なもので、断言しづらいのだけれど、この本は、構造主義の考え方を用いてポケットモンスターを解説したものだ。だから、ただポケモンが好きという理由だけで読むと、難しい。ここから哲学を志す、ということもあるのかも知れないけど、ほとんどない気がする。

とは言え、全体としては、楽しんで読み進めることができた。意識の「へり」、エロスとタナトス、「対象a」といったキーワードは、今後ゲームについて考える上でのヒントや指標になるように思えたし、第4章から始まるポケモンの分析はとてもスリリングだった。もっとも、まさにこの本で書かれている「子ども」時代にリアルタイムにポケモンを楽しんだ者としては、素直にうなずけないようなものも多かったけれど。あとから学者が名前をつけたりすることに、なぜか抵抗がある。そんな必要、ないのに。

最後に。読んでいて最も印象に残ったのは、以下の部分。

この世界をつくっている力の流動や配分が不調で、そのためにこの世界は、もはやかつてあったような幸福な状態を実現できていないのではないか、ということを主人公が気がついたそのときに、物語ははじまる。別の言い方をしてみると、人の心に物語への欲望が生まれたときにはすでにして世界は不調に陥っている、というか、物語が欲しいと思うときはすでに遅く、原初の完全で幸福な状態は、二度とそのままのかたちでは実感できないように消失してしまっている。何かを受け入れたことによって、別の何かを決定的に失ってしまい、それ以後は二度とその失ったものを取り返すことができずにいる。こういう心の構造が、物語を生み出しているというのが、ここからもわかる。物語の本質は、子どもの心の形成と深い関わりを持っているのだ。あらゆる人間の子どもは、心の内部に不調をかかえている。何かを失うことによって、この生き物は人間の子どもとなった。そしてこの生き物は、物語を求めるようになる。(p.63)

この箇所で、不意打ちをくらったような気分になった。「物語」というのは、ちょうどいま気になっていたテーマだったから。以前読んだ「思想地図β vol.2」のテーマとも、通じるように思える。

じぶんではそんなつもりがなかったのに、たまたま連続して読んだ本に関連性があって、それはただの偶然だけれど、ひさしくそういうことがなかったので、なんだかとても得をしたような気持ちになった。ラッキー!

こんなに頭を使って本を読んだり、それがただ本を読んだという以上のことをもたらしてくれるなんて、読書って、いいですね。もうちょっと続けてみよう。

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長嶋有「パラレル」

by osicoman on 09/23/2011

ブルボン小林でない著作を読んだのは初めて。現在と、過去と、もうちょっと遠い過去のこと切り替わるさまが、読んでいて気持ちいい。ナイステンポ!

優れた作品には、大切な人のことを思い出させる力があるな、なんつって!もちろん、そうでなくても優れているものはあるけれど。もっと早く読んでいればよかった。

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