謹賀新年
by osicoman on 01/4/2013先月は誕生日があったけど、特になにもしなかった。おとといも、新年らしいことはしていない。本当はいつだっていいんだけど、往々にしてじぶんはうまくできないのだから、何かを始めるきっかけとしてそういう日はガンガン利用してったほうがいい。
というようなことを、自堕落な年末年始を振り返って、再確認したのでした。反省で始まる2013年。あけましておめでとうございます。
ほんとうに大事なことは書かない
先月は誕生日があったけど、特になにもしなかった。おとといも、新年らしいことはしていない。本当はいつだっていいんだけど、往々にしてじぶんはうまくできないのだから、何かを始めるきっかけとしてそういう日はガンガン利用してったほうがいい。
というようなことを、自堕落な年末年始を振り返って、再確認したのでした。反省で始まる2013年。あけましておめでとうございます。
2011年によく聴いたヤツはこちらに。
http://osicoman.com/text/music2011/
あんまり変わってないような、でもわりと違う名前が並んでいるような。
—最初に聞きたいんですが、おしこまんさんは、何歳くらいまで生きたいって思ってます?
うーん、何歳だろう…50くらいかな。ぜんぜん考えられないんですよね、未来のことが。ただ、早く死にたいとか、そういう願望があるわけでもないんですよ。なんなんでしょうね。あっ、でも秋くらいかな、ほとんどぜんぶ詳細を忘れてしまったんですけど、友だちが「私、50過ぎてから超いい感じになるらしい」みたいなことを言ってたので、それを見届けたいな、と思ってます。いま思いました。
—なるほど。ちょっといきなり横道に逸れちゃうんですけど、それって本当に「友だち」ですか?
えっ、あっ、はい。…はい、そうです。
—わかりました。なんかすいません。
…。
—話を戻しましょう。「何歳まで生きたいか、ぜんぜん考えられない」っていうのは、なぜですか?将来に希望がない、というわけでもなさそうですが。
そうですね。希望っていうと大げさですけど、生きてれば楽しいことはたくさんあると思います。それは一般論ではなく、「じぶんが生きてれば」っていうスケールの話で。
毎年、今日みたいな日(2012年12月31日、大晦日)にその年を振り返るんですけど、いっつも「今年もいい1年だったなー」としか思わないんですよ。もちろん、生きてればいろんあことがあるわけで、ひとつひとつ振り返ったら、実際はよくないこともたくさんあって、だから要はそれを忘れるスキルに長けてる、っていうだけなのかも知れないけど。
でも、とにかく毎年そう思えてるんだから、この調子でいけるんじゃいか、っていう根拠のない自信はあります。
—でも、それだと、そういう人生をできるだけ楽しみたい=長生きしたい、という発想になるのが普通なのかな、という気がするんですが、そうは思わないんですか?
そうですね…なんか、生きてれば楽しいとは思うんだけど、べつに今日死んでもいいな、という感覚も一方ではあって。よくわかんないです。ちゃんと己に向き合ってないのかも知れないです。でもそう思っちゃうんだからしょうがない。
—おしこまんさんって、「死」を明確に意識したことってありますか?
あー、それがですね、ぜんぜんないんですよ。いちばん古いそういう記憶は、3歳くらいの頃の、母方の祖父か誰かが入院していて、母親が、世話しに行くためにぼくに祖母を預ける、というシーンで。でも祖父の顔はまったく覚えてないし、名前も知らないです。ああ、もっと言えば、それが祖父だったのかも、その入院のさなかに亡くなったのかも知らないですね。でも、ぼくの中ではそういうことになってます。
—そのくらいの年齢だと、ピンとこないですよね。それから今に至までも、なにもないんですか?
家族もまあ健在だし、仲のよい友だちが死んだこともないし、ないですね。あ、いや、ひとつあった。父親の弟が亡くなったときは、ちょっと喰らいました。6年くらい前の話です。妹からメールで、「おじちゃん死んじゃった」って来て。その字面は、けっこうインパクトがありました。ただ、それでじぶんの生活がなにか変わったということもないし。死がどういうものか、よくわかってない、っていうことだと思ってます。じぶんでは。
—マンガとかゲームとか、あるいは有名人の死とか、そういうものの中で印象に残ってるものはありますか?
誰かいるかな…。あっ、フジファブリック志村正彦の訃報を聞いたときは、けっこうショックでした。ショック具合で言ったら、さっきの叔父よりもだんぜん上ですね。こういうのは、血縁とか、そういうのは関係ないんだなあ、と。思い入れの度合いがすべて、なのかな。なんか、言い切ることに対して及び腰になってますけど。
—どこか遠くのできごとのように言いますね。
ですです、ほんとそうです。この間29になったんですけど、約30年間、幸いにも、じぶんにとって大切な人は誰も死んでないということで。というか、語弊があるかも知れないけど、幸いではないのかも。少なくとも、人格形成、みたいな面においては。
—もう一度話を戻すと、最初に「何歳まで生きたいかぜんぜん考えられない」とのことでしたが、将来設計のようなものもないんですか?
ああ、それは最近たまに聞かれるんですよ、主に仕事関係でなんですけど。仕事の話で言うと、いま週5でやってるようなことを10年後もやってるのか?と考えたら「いや〜ちょっと無理っすね〜」って感じなんです。体力的にもそうだし、技術的にも。ただ、そこで「じゃあなにするの?」って聞かれると、答えに窮してしまうという…。そういうときのための回答はいちおう用意してあって、それはウソではないんですけど、100%それなのか、と問われると、そうでない未来もぜんぜんあり得るし、そんなにイヤでもないなあ、と。
—話してて思うんですけど、ふわふわしてますね。
はい。覚悟が足りないのかな、とじぶんでは思ってます。
—思ってるなら、直せばいいじゃない!
おっ。まあ、それはそうなんですけど。そんな単純な話でもないでしょうよ。じぶんでも、もう気付いてるわけですよ、ぼくは向こう側にはいけないタイプの人間なんだな、って!(立ち上がって、テーブルを強く叩く)
—そんなの言い訳ですよ!それでも!ぼくたちは!
そう、それでも、なんですよ。(座る)それでも、やってかなきゃいけないし、どこかでまだ「何者かになれる」と思ってるんですよ。
—じゃあ、「なれる」じゃなくて、「なる」ってことにしたら、もうちょっとちゃんと生きていけるんじゃないですか?
ん?いまのじぶんがちゃんと生きてないってことですか?
—あっ、そんなつもりで言ったんじゃないんですが。すみません。
いえいえ、謝らないでください。ある意味では、そうかも知れません。いまのぼくには守るものもないし、毎日、それなりにおもしろおかしく暮らしていけてるし。さらに言えば、ぼくじゃないとダメ、っていうポジションにもいないし。というか、そういう状況で、ふわふわせずにいるのは相当タフじゃないとできない気がします。みんなどうしてるんだろう?
—うーん、おしこまんさん、考えすぎじゃないですか?
いやいや、それこそぼくはもうずいぶん長いこと「じぶんはいろんなことに対して考えてなさすぎじゃないか?」って思ってます。なのにそんなことを言われるなんて、意外です。そうも見えるんですね。
—うーん、見えるというか、なんでしょうかね…。おっと、すみません、まだぜんぜん話せていない、という印象なのですが、おひらきの時間となってしまいました。こんな終わり方で申し訳ないですが、最後になにかあれば、よろしくお願いします。
あれ、そうなんですか。こっちはやっと酔いが回ってきていい具合になってきたんですけど。
そうですね、2012年も、例年どおり、いい1年でした。これはことあるごとに言ってるんですけど、ぼくは本当に人間関係に恵まれているなあ、と思っていて、今年がいい1年だったのは、絶対的にそういう人たちのおかげです。ありがとうございます。2013年は、そういう人たちを裏切らないようにしたいです。まあ、なにを裏切りと感じるのかは人それぞれだと思うので、そこはアレですけど。
それと、今年は新しいことを始めたり、始めたと思いきや放り投げたり、ごぶさただったことを再開したり、やりたかったのにやれなかったことがあったりしたので、来年は、始めたことは継続しつつ、やりたかったことはちゃんとやっていきたいです。
ま、明日死ぬかも知れないですけど。
—今日はありがとうございました。ぜひまた、ゆっくり話しましょう。
はい!
「We are Lucky Friends」、とてもいい。
ラッキーフレンズってなんだろう、って考えながら、ともだちの顔を順番に思い浮かべたりした。ぜんぜんハマる人がいなかったんだけど、さっき急に、「10年後もともだちだったら、そういう人たちがラッキーフレンズだ」と思った。
いま仲がいい人だってそれがいつまで続くかわかんないし、ぜんぜん興味のない人と明日いきなり超意気投合するかも知れない。なんだってあり得る。
まぁ、それはべつに、あえて書くほどのことでもないけれど。
あと、ギターをぶらさげて、でも弾かずに歌ってる様子を、だいたいかっこいいなと感じる。
迷走してる、またはスピってる。
なぜそんなことになっているのか。
思い当たるフシはいくつかあるのだけれど、ひとつひとつを見せられて「これでしょ?これでしょ?」と問い詰められても、素直にうなずけない感じ。その通りだし、ぜんぜん違う。
この感じこそがまさに「迷走」っぽい。ああ(詠嘆)、ぼくはなんて便利な言葉を見付けてしまったんだ!
とは言え、そんな日々にも「いいですねぇ」と口に出したくなるようなことはあるわけで(あるいはだからこそ気付くのかも)、最近「いいですねぇ」と思ったことを書くぞ。唐突にだぞ。
「世界中の街で、その土地の言葉の大衆音楽が爆音でかかり続ける。その爆音に乗って、みんながどこかへ移動していく。歌われていることはだいたい同じ。張り裂けそうな悲しい気持ちとか、この世界にいる喜びとか、恋人のこととか。リズムやメロディーがちがっても、人々の気持ちはだいたい同じだ。人々が望むことは、どの街でもだいたい変わらない。ぼくらはたいしてちがわない。」
(小沢健二『我ら、時』収録の、「歌は同じ」より)
ゲームで生まれる感情の起伏って、「どういうシチューエーションでユーザーにアクションさせるか」で決まる部分が大きいんです。ボタンを押すという操作自体はどのゲームでも一緒。でも、崖を飛び越えようとジャンプするためにボタンを押すのか、コインを取るために押すのか、ただメッセージを先に進めるために押すのかで、感覚は全然違うじゃないですか。うまくシチュエーションを作ることで、ボタンを押すという無機質な行為に、何らかの意味を持たせることが重要なんです。
(「“引き算”がゲームを面白くする」ゲームデザイナー 石田礼輔の視点。[中編]より)
ちょっと前、ぼんやり考えごとをしていたら、上のふたつが急に結び付いた。ものすごいものを見付けた気がした。絶対にダサいからおおげさには言わないけど、おおげさに言えば「救われた」くらいの勢い。救われそうでやりきれない!
それはぼくにとってはかなり重要なことで、今後の指針にすらなり得るんじゃないかと、とても興奮した。若かったのだろう。でも今は、なんかもう、そういうのはとうぶんいいや、っていう気分。老いたからだ。
あと18年くらいは無気力でいたい。18年後に本気出す。
まつきくんの soundcloud をずっと聴いてたんだけど、中でもこの曲がすごくよかった。「救われそうでやりきれない!」っていう歌詞が特に、いい。単純な共感ではないけれど。絶妙なところを突いてくるなあ。
おひさしぶりです。
やっぱり、続かなかったなあ…。毎日なにかしらを書く行為、いつも半年くらい経ったら始めてみて、1ヶ月くらいでやめてしまう。向いてないのか、なんなのか。1ヶ月を越えられれば、続けられるのかも知れないけど。
ただ、続かない理由について思い当たるフシはあって、要は「なんでもあけすけに書くのもいかがなものか」ということです。いつまでも、若いつもりで言いようのない不安や悲しみを綴ったり、じぶんの至らなさを嘆いたり、そんなので満足してていい年齢じゃないでしょうアナタ、と。
それに、不安や悩みは身近な信頼できる人に話せばいいんだ、という当たり前のことに今さら気付いたりして。
で、とくになんとも思ってないようなことでも「毎日やんないと」っていう使命感だけで書くのは本末転倒にもほどがあるというか、それがアナタのなりたかったオトナの姿なんですか、と。
なんつって、本当はぜんぜんそんなことじゃないんだけど。
あと、唐突ですが jaaan.net をよろしくお願いします。
…うーん、雑!
ずっと気になっていたひみつ堂に行った。今までに食べたことのあるかき氷とはぜんぜん違っていた。ちがう名前で呼んだほうがいいよな、ってくらい。氷の細かさも、ヨーグルトのとろっとした感じも、シロップじゃなくて果汁?みたいのなのも、それを構成するすべての要素を抱きしめたい。とてもおいしかった。あと、氷をけずるマシーンの名前が「初雪」だったのもよかった。センスある。軒先に貼ってあった雑誌の切り抜きにいた蒼井優も、食べたあとなら肯定できる。夏の終わりに、新しい扉を開いたっす。どもっす。
弊社の人たちや出向先の方をなぜかうちに呼んで、ホームパーティー。どういう経緯でこうなったのかは、もう思い出せない。うちの台所がこんなにも有効に利用されたのは、1年半ここで住んで初めて。ありがとうございます。
午前中、横浜美術館で君や僕にちょっと似ているを見た。すごいなと思うものもあったし、グッとこないものもあった。後者のほうが多かった。美術観賞の仕方、っていうのがいまだにわからないんだけど、もうそういうことはどうでもよいような気がしてるし、パッと見てなにかしら思うかなにも思わないか、がすべてでいい。
夜、大学時代の友人たちと渋谷で飲む。ダックスフンドを6匹飼っている話が忘れられない。あとはぜんぶ忘れた。
終わって家に帰ったら、べつの友だちがいて、彼女と別れた、とのこと。話を聞いて、それに対してじぶんはどう思うか、は言えるけど、どっちが正しいとか正しくないとか、っていうのは言えないっすなあ。たぶん言ったけど。ほんとうは、そういう基準とはべつのところにあるものだと思う。
真実は人の数だけある!って誰かが言ってた。誰だろう。